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 前までの記事で考えたように、この「 レベル制 」というものが、
いかに今のRPGを締め付けているか、という点に気がつきます。



●レベル制のデメリット1-序盤のボスを後回しにすると、後半で訪れた時に弱すぎる-


 順不同シナリオを組んだ時に、ゲームバランスが崩れる原因。
 どうしても進行度/プレイ時間が 強さに比例するゲーム制であるため、
「順番を入れ替えてはならない」という鉄則が生まれてしまう。


 これを解決するひとつの方法は、ワザを増やし、力を上げない成長方法

 例えば、ロックマンシリーズ。
最初8体のボスステージがあり、それぞれ倒すごとに武器を手に入れて
ロックマンが強化されます。
 しかし、「弱点武器」こそあれど、ロックバスターの威力は同じ。
強化されすぎてステージが簡単すぎる、なんて事はありません。

 例えば、ゼルダの伝説シリーズ。
物語が進むにつれてアイテムが増えていき、ハートが増え、
リンクが強化されます。
 しかし、武器攻撃力はたまにイベントで+1上がる程度で、
そもそも的確な攻撃方法でないと敵は倒せない。


 つまり、RPGにおいて、
物語が進むにつれてさまざまな「かわったワザ」をおぼえていき、
戦術の幅が増え、強化される。
しかし攻撃力パラメータは存在せず、後半になっても前半の敵をしっかり操作して倒す必要がある。
しかしそのワザを使うとすこし楽になる。

 そんなゲームバランスはどうでしょうか。


 そもそも物語が進むほど、攻撃力が比例して上がる
というこの法則から、疑ったほうがいいのかもしれません




 これを現在のRPG、ツクールにおいて実践するのは簡単。
レベルアップで技習得させるのはそのままに、
レベルアップで攻撃力をアップさせない設定にする。
ただし、HPはすこしあげる。

 そして、レベルアップごとに補助技を覚える。
高威力な技を覚えて言ってはダメ。

 そして、毒にやたら弱い敵、
ふつうは強いけど、ウィークの魔法で一発でザコ化する敵・・・など
補助特効を設定する。


 それだけです。

これで、ワザがどんどん増えるという主人公の成長がありながら
後半になって序盤エリアを訪れても問題ないバランスに。





●レベル制のデメリット1-

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 いつから ダンジョンは「障害」になったのでしょうか。


 考えて見れば、ストーリー性の薄かった昔のRPGでは、ダンジョンは「1ステージ」
ダンジョンは プレイする目的 だった

 ストーリーが強くなった事で、RPGというゲームジャンルにおいて
ストーリーを見たいという客層が発生、
これによって、ダンジョンが障害になってしまった。

推察してみるとこうなります。



 例えば、いまだにダンジョンが楽しみである ゼルダの伝説シリーズ 。
「ダンジョンのないゼルダ」をイメージしてみれば、
自分がダンジョンに求める感情がわかるはず。



 ダンジョン探索は 楽しいものでなければならない

 ドラクエをはじめ世界を旅するRPGで、船などの移動手段を入手したとき
次の町に行かず、うろうろしていて洞窟を見つけたら
とても楽しい気分になりませんか?




 必ずダンジョンを攻略しなければならないのが問題
なのであり、ダンジョンに対して「さあ探索するぞ!」と思わせれば勝ちです。



 ここで、ダンジョン攻略を楽しみとするプレイヤー層と、
ストーリーを視聴したいプレイヤー層を考えると、問題が発生します。

 ストーリー上にやりがいのあるダンジョンを置くと、
先に話をみたい人にとって「はやく終わって欲しいもの」になってしまうのです。




●解決法1

 このひとつの解決法は、ストーリー上強制部分を緩くし、サブルートのダンジョンを強化する方法。

 ストーリーをひと通りこなした後に、改めてダンジョン制覇を開始できるようなゲーム設計を考えると、
レベル制とストーリーボスいう点で問題が発生します。

 ストーリー上のボスを撃破するために、ある程度のレベルが必要になる場合、
そのためにダンジョン攻略を前もってこなす必要が出てきてしまいます。

 つまり、ネックとなっている レベル制 という点から考え直す必要がでてきます。



●解決法2

 強いお助けキャラやアイテムによって、ボスをパスできる機能。
 かつ再戦できるようにできれば理想です。

 ロックマンシリーズにおけるボスラッシュ、
 終盤で、いままでに戦った8ボスと再戦する事になりますが、
 RPGにおいては、これがやりにくい。

 ロックマンは成長こそすれど、通常攻撃(ロックバスター)の威力は変わらず。
 成長したことで以前より圧倒的に瞬殺される事は、むしろプレイヤースキルに関わることです。
 RPGでは やはり レベル制 がネックになります。
RPGにおける「ありがち」を羅列してみます。
かぶってしまった場合、少し手直ししてみては?


○故郷が襲撃や炎上、あるいは事件により村を追い出される、村がなくなる事で旅立つ。
   →これは環境変化により旅に出ざるを得ない「仕方なく」のタイプ。
    もっと主人公の心からの「旅に出たいという欲求」を描いてみては?

○主人公の武器は剣。
   →これは王道であり、斬新な事をするために剣以外にするという設定もみかけますが
    剣というだけでは批判されるものではないはずです。
    むしろ、武器種別はいかに世界観に合うか が重要かもしれません。


○初回の船はまず事故や襲撃にあう
   →なぜかRPGの船は事故ります。
    なぜでしょう。






---


RPGにおいて嫌われることシリーズ


とりのがし

 期間限定アイテム・期間限定イベントは嫌われがちです。
 これらは「プレイヤーはこの時にこうしなければならない」という限定力をもっており、
言ってみれば 反自由度 ですね。


周回強要

 
メアリー・スーが警鐘を鳴らす、その偏りについて。


■作者の境遇への願望 がメアリーを生み出す

 メアリー・スーに込められたメッセージとは。
 リンク : メアリー・スーテスト by iwatamさん

 実は海外のメアリー・スー解説ページに、こんなセリフもあります。
私はこんなにも優れている!なぜ特別扱いされない!?ふざけんな!

 この2つ。まぁ要するに言いたい事は同じですね。
メアリー・スーが生み出される根本の原因は 境遇への願望 にあると言われています。

金持ち、血統、権力、美男美女、モテる、カリスマ性、知力・・・こういったのが、境遇
努力家、ウソが嫌い、根性がある、きれい好き、子供や動物が好き・・・こういったのが、人格
メアリー・スー作者は、上記のメッセージを持つため、既に自分の人格に満足しています、それが原因で、
境遇 の設定ばかりに偏り、人格の設定がないがしろにされる という代表的な特徴が現れます。
これが、メアリー・スーが投げかける問題点のひとつ 設定の偏り として現れるのです。

どういう事かと言うと、メアリー・スーは作者のアバターであるため、
そのキャラクターを動かす場合、作者が乗り移るという性質があり、
これによってそのキャラクターに中身(人格)が不要になるという事になります。

例えば、オンラインゲーム・MMORPGを考えてみてください。

   ───今操作してるそのマイキャラ、どういう性格ですか?

と聞かれると困ってしまいませんか?
それと同じこと、それこそ「アバター」なのですから人格の設定が必要ないのです。

キャラの環境設定ばかりして、内面が描かれず、
結果、キャラクターの人格に魅力がないという問題 が浮き彫りになるのです。


■キャラクターの人格
  では、「金持ち」だとかの設定をしてはいけないのか?
 そんな事はありません。

 メアリー・スーの「警鐘」は、人格の設定をしろ という事であり、
 境遇の設定をするな というのは間違いです。

 例えばこの2つの紹介文を見てください。

   キャラクター紹介文1.22才男性。金髪で身長178cm。
              卓越した剣術の腕を持ち、幼くして将軍に抜擢。
              王国きっての天才剣士とうたわれ、剣だけでなく魔法力にも優れる。
              幼なじみの女性が、彼に秘めたる好意を寄せている。

   キャラクター紹介文2. あまり細かい事を気にとめない性格でゆったりとした空気が流れる
              小動物が好きで普段から森に出かける事も多いようだ。
              歌が好きでよく鼻歌を歌っている。周りに人がいるのを気にしないマイペース。
              悪口を言われても怒らず「やめてよー」という程度のおおらかさ。

 この2つの紹介文の決定的な差がわかるでしょうか?

 それは、キャラクターの 外面設定内面設定の差です。

本来、キャラクター作りというのは内面(紹介文2)をつくることなのに、
外面(紹介文1)の設定しかしない人が多い!・・・というのがメアリーからの「警鐘」です。

   髪型、髪の色、身長、年齢、服のデザイン、戦闘スタイル、能力・・・
   家系図、幼なじみなどの人間関係・・・
   「兄貴分」「ツンデレ」「お嬢様」「姉キャラ」という性格タイプ
   過去におきた出来事・・・
これらを設定しただけで キャラクターを生み出した気になってないか?
これらは全て外面、それが「メアリー・スー」が投げかける意味。


■メアリー・スーテストについて
 メアリー・スーテスト

 このテストのキモは、外面設定ばかりになっていないか?という事なのですが、
ちょっと不備があって、設問の内容を見てみると、
名前、外見、能力の1-3個目まで  の「外面設定」と
生い立ち、能力後半、他人・キャラとの関係、ストーリー、プロット の「物語上の優遇
・・・という2タイプのものが混じっているのです。

というのも、「外面設定」が多いからメアリー・スーだとしてしまうのは
「 紹介文1を作ったキャラクターは紹介文2が作られていない! 」
と言う事になってしまうので、それはちょっと違うんですね。
両方設定すれば良いのですから。

 ・・・ただ、しかし、このテストがだいたいあってるのは、
紹介文1を作る作者は、たいてい紹介文2を作らないという
当てはまりがちな法則を見抜いているからなのです。

 しかし、メアリー・スーテストの「外面設定」の点が高いからと言って
点数を下げようとするのは無意味
です。それは、
「アクセサリーをふんだんに付けたマネキンに対して、人間にするためにアクセサリーを外そう」
という考え方。・・・方向が間違っています。

「外面設定」の多いからどうだとは全く関係ありません。
とにかく内面作れ!それが重要なのです。

外面設定をする事は、その存在にアクセサリーを付けることに等しい
既に人間であるなら、華やいでイイ。
しかしマネキンをいくら着飾っても人間にはならない。

 また、メアリー・スーテストのページ下部にかかれていますが、
美形は無条件でモテる/モテないのは美形じゃないから という世界観を構築してしまうのも典型例、
内面の概念に乏しいために、モテるモテないは外面で判断するしかない世界をつくってしまう・・・。


■「性格用語」
 同じくそのテストページにかかれていますが、性格テンプレの存在。
例えば「ツンデレ」という言葉は、内面を描けない作者がいかに大量発生したかを表しました
言い換えればキャラクターの人格のRTP-ランタイムテンプレート。
素材集から人物をダウンロードして登場させてるのと同じことです。

 ツクールにおいてのRTPや素材は、自作しないで済むという大きいメリットがあります。
まずひとつは、作業量が減ること、
ふたつめは、自分では不可能なハイレベルなものが利用出来ること。

 「ツンデレ」を代表に人格テンプレートを利用したキャラクターは、
キャラクターを自作しないで済むという発想から生まれています。
この発想が加速したため、内面がないメアリー・スーが増加しだしたのだと思えます。



■内面を描くべし
 では、どうすればいいのか。その答えは そりゃカンタン 内面設定をすべし! ということ。

 内面、つまり「どういう人格かわかる描写」。
内面設定というのは、そのキャラがどういう行動原理を持っているのかです。

 ・いじめられている人を見ると助けに走る
 ・かわいい女の子に目がない
 ・恋愛話になるとテンションアップする
 ・強い相手を見ると勝負を仕掛ける
 ・お金の話になると急に厳しくなる
 ・・・
その人物が、~~に対して~~な反応を持つ、これが内面設定のカンタンな例です。


























 ハッピーエンドとバッドエンド、
基本的にハッピーエンドが好まれますが、言ってみれば好みの問題だとも言えます。
しかし、RPGというゲームにおいては、それだけではないと思う点があります。


■ハッピーエンドを「報酬」として考える

 この考え方は、あまり浸透していないか、
昔から当たり前すぎて気づかれていない、ゲームとしての基本だったとも言えます。


 小説や映画のように、ひとつの話を見る というスタイルならば話は違いますが、
RPGの場合、プレイヤーが努力してクリアした という点が大きな差になってくるのです。

 「勇者は旅立ち・・・、魔王に破れ、世界は救われませんでした。おしまい。」
ふーんそういうおはなしかぁ。と読む事もできますが、

 胸踊る冒険に旅立ち30~70時間という大量の壁を乗り越えて、ついにたどり着いた。
いままでのプレイ・経験の集大成たる最後の決戦!
・・・に強制敗北して強制バッドエンドです。今までの旅は無駄でした、おしまい。
・・・
・・・プレイヤーがブチギレると思うんです。


 酷い言葉でいいますが、
 悪い意味で今風のもの、いわゆるJRPGは
「作者は「現実はうまくいかないって知ってる俺って知的だろ!!」って思って作っただろ!」感
が、ひしひしと感じ取れる場面が多かったりします。


 それはやはり、プレイへの報酬という考えが著しく欠けている事の現れであり、
その原因は、作者が 物語を見せる 事に執着しすぎている事にあると思えます。



ボスの撃破の報酬は 経験値やレアアイテムである 。それだけに終始してしまっている。
・・・これはよくありません。

 つまり、ストーリー上のボスでも隠しボスでもいいので
ボス撃破の報酬を ハッピーエンドにするというゲーム設計も 十分にアリだと思います。
具体的には・・・

 負けても物語がすすむ強敵に負け、村が焼かれてしまう序盤・・・、に
 強引にレベル上げしてその強敵を打ち負かすと村が温存されるとか。

 中盤で敵幹部に殺害される味方、
 前半のサブイベントでその幹部を撃破しておく事でその味方が生存するとか



 反則級な強敵を撃破することで、大事な仲間の死を回避できる・・・

 死亡フラグをへし折るRPG
・・・ラジアントヒストリア。

 プレイヤーの努力がハッピーエンドに直結するという性質において
かなりいい設計だと思うんです。

 ファイナルファンタジー7の エアリス生存説の発生も、
やはりエアリスの生存を願うプレイヤーの心から生まれたもの。
となれば、どんな高難易度であろうと、そこに突撃する勇気は生まれてきます。


 例の「現実」を考えてみても、
強制負け戦闘で無理やり勝利した時に 負けたことになってイベントが進む違和感 が代表で、
問題を解決できる力をもった主人公がご都合主義に負ける物語に従うのも、やはりそれは非現実。

 強制負けの場合はプログラムされてないからという話なんですけど
結局「ゲームだから」という話になってしまうと「現実はこうだからそういう物語」と矛盾する・・・

・・・と、いろいろ理屈を並べられますが、
それは 結局、ストーリーに不満があるからでてくるもの。
そうなるとストーリーをプレイヤーに預ける、という手が出てきます。

 それが、ハッピーエンドを「報酬」として考える設計になるわけです。



■報酬ハッピーエンドのゲーム設計

 「時限イベントは嫌われる」という事を考えると、問題の解決はいつでもできるようにしたい。
その解決をサブイベントに用意するわけですが、先ほどのように、ストーリーの1場面での分岐 を
考えると少しやりにくくなってきます。

 ストーリーの進行上に分岐イベントがある場合、
より良い結果を残すためにパーティの強化を行いたい場合そこでストーリーが止まってしまう
理想的には 解決を後回しにできるようにしたい。


 ここらへんは  物語そのものをゲーム用に調整する  という設計が必要になってきます。


 つまり、ある村などに問題が発生した場合、
その問題を引きずってラスダンまで行けるようにする というもの。
 毒ガスや病気がうんぬん・・・にはじまり、敵エネミーの襲撃なら、石化などで一時しのぎしたりとか。
権力によって支配されている状況が続くとか。

 放置してエンディングに行くと、その村はこれでもかと悲惨な目に会う。
そのサブストーリーをクリアするとその村はハッピーエンドになる。
と。




 ストーリーもゲームの一部として考えるほど、
 RPGはハッピーエンドでなければならない


という結論に達します。
ストーリー放置のやりこみゲームなら、どっちでもいいでしょうし、
「読ませる」タイプでも、どっちでもいいでしょう。
「見るゲー」ならなおのことバットエンドへの不満もでないと思います。

 ただ、そういうバッドエンド一本のストーリーだと
どうしても「一本道」と言われてしまいそうですけど・・・
小説・映画と異なる、ゲームだからこその性質だと思います。
映画のストーリーに「ひと通りしか無いのかよ!」ってツッコミをする人はまずいませんし。


 そもそも、

 数々の苦難を乗り越えて世界を救う冒険の旅 という時点で
すでにプレイと報酬の概念が完成している
のですよ。

 昔から完成していたものを わざと破壊するような事をしている とてももったいない事です。


 世界を救うストーリー、”なぜそうなのか ”

この事はしっかり把握しておくべきポイントです。




 レアアイテム・金・経験値・・・などだけに収まらない「報酬」を。
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